共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

もう必要ないな

 『学び合い』の考え方に基づく授業での課題で定番なものに、「○○について3人に説明をしてサインをもらおう」というものがあります。この課題は、授業が始まった頃に、『学び合い』の考え方のメリットを実感してもらい、考え方を浸透させることに非常に有効です。

 

 

 しかし、ここ最近では、この「サインをもらおう」形式の課題は「もう必要無いな」と感じています。生徒たちは、もうすでに彼ら自身が、「話し合うことの有効性」を実感しており、「課題を通した必要性」を必要とする段階を超えたのだと思います。

 

 

 「サインをもらおう」形式の課題を設定すると、生徒たちは盛んに説明し合います。その姿を見ていると、確かに学び合っているように見えます。そこにある種の安心感を感じている自分と、「サインをもらおう」形式の課題を「達成するため」に話し合っている生徒たちの姿を感じています。

 

 

 先日もブログに書きましたが、目的と手段を間違ってはいけません。「サインをもらう」ことは、学びを深めることに若干の寄与はすると思いますが、それ自身が学びの本来の姿では無いと思います。今のままでは、「話し合わせる」ことが目的になってしまっていると感じています。

 

 

 そして、私の安心感の在りどころも、そこに留まっていてはいけないと思います。彼らの学びの在り方を信じて、次の段階へ進まなければいけないと思っています。