共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

「授業がしたい」という欲望?

 先日、FaceBookでシェアされてタイムラインに流れてきた記事を読んで、私の「モヤモヤしていた部分」がハッキリしました。

 

 そこでシェアされていたのが、ある方の note の記事だったのですが、「『オンライン授業が~~』というのは、授業がしたいという『教師の欲望』に基づく『教師の都合』でしかない」という趣旨の文言がありました。

 

 

 私自身、現状に焦燥感は抱いていません。周りでは「授業が~~」、「範囲が~~」「オンラインで~~」などなどの声がありますが、そういったことに対して焦りが無いのです。なぜ焦りが無いのか不思議だったのですが、 note の記事を読んで、私には「授業がしたい」という欲望が弱いんだな、と思いました。

 

 

 なぜ「『授業がしたい』という欲望が弱い」のかについてですが、このままでは少し語弊があるので正確に表現すると、「『教えたい』という欲望」が無いのだと思います。「授業は必要」だと思っています。



    私にとっての授業は、「生徒の学びを促進させる場」であり、そこでの教師の仕事は「生徒の学びを手伝うこと」であると考えています。そのため、「教える」ということには、あまり価値を見出だしていません。(必要に応じて教えなければいけない場面は多々あると思いますが、一斉に一律に教える必要は無いと思います。特に教科の内容については。)

 

 

 もしかすると、『学び合い』の考え方に基づく授業をしている人は、「授業がしたい」という欲望は弱いのでしょうか? それとも、私が弱いだけなのでしょうか? モヤモヤも晴れたので、 この辺りの話がしたいですね。