共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

一歩引く

今日の3年生の授業は、良い雰囲気の中でそれぞれが学びに向かえていたのではないかと思います。私は、その様子を見守るだけです。しかし、それがなかなか難しいのです。


私は、基本的に、「教えること」は大好きです。授業中に生徒が悩んでたり、分からないところがあって困っている様子を見ると、助けてあげたくなります。しかし、生徒の成長を願うなら、そこを我慢して一歩引くことが必要な場面もあります。今日はそんな場面がありました。


今日の3年生の授業中に、生徒同士で会話をしながら学びを深めている場面が見受けられました。私はたまたま近くにいたので、その様子を眺めていました。すると、答えに至るまでの知識を1つひとつ確認していくので、時間がかかります。私は何度も「教えてあげたい」と思いましたが、その都度我慢しました。たとえゆっくりだとしても、生徒たちは確実に進んでいたからです。最終的には、生徒だけで、お目当ての知識を得ることができました。私は「良かったね!」と声を掛けて、その場から立ち去りました。


それでいいんだと思います。



職員室などで、時折、「生徒だけじゃ無理だよ」とか、「教師が全部教えてあげなきゃ無理だよ」という類いの言葉を聞きます。しかし、今日の生徒の様子を見ていると、「生徒たちでもできる」と感じます。


この差はどこから生まれるのでしょうか?「子どもたちは有能である」という子ども観。これを持っているか、いないかの差なのでしょうか?気になります。