共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

20200424 上越『学び合い』の会

 本日、Zoomで上越『学び合い』の会が開催されるということでしたので、参加させていただきました。全国の方々と、現状の課題や困り感などについて話をしました。

 

 

 グループルームに分かれた先で話した方々の課題や困り感は、ほとんどが「授業をどうするか」「オンラインで授業できる環境がない」「オンラインで授業をしたが、参加しない子がいる」などでした。

 

 私自身としては、上記の理由で困る感覚が現時点ではあまりないので、新鮮な気持ちで話を聞いていました。

 

 なぜなら、上記の悩みは、「全部自分ひとりでやろうとしている」からこそ生じてくるのかな、と思っているからです。基本的に私は「すべてを自分一人でやる必要はない」と思っています。チームで対応すれば良いからです。

 

 『学び合い』の考え方に基づいて考えると、学校に生徒が来ないことで生じる問題点は、「チームとしての集団感覚が薄まること」だと思っています。教室に30人~40人の生徒が集まって『学び合い』をすると、「気になる子」が視界に入ります。そのとき、「一人も見捨てない」という願いを共有している生徒は、「気になる子」を見捨てないように動いてくれると思います。

 

 しかし、現状では「一人も見捨てない」という願いを共有している生徒には、そういった「気になる子」は見えなくなってしまっています。ただ、教員側からは「気になる子」は見えています。だからこそ、「自分が何とかしなくては」「しかし、他の生徒のことも気にしなければ」「そんなの無理だよ」というループに入ってしまいます。

 

 ただし、「気になる子」は確かに存在しています。生徒たちの前から「見えなくなっているだけ」です。

 

  『学び合い』の考え方に基づいた授業で教員がやるべきことは、「可視化」・「評価」だと思います。それならば、この状況であってもそれをすれば良いのだと思います。

 

 つまり、「一人も見捨てない」という願いを共有している生徒集団に対して、「語り」や「声かけ」をし、「この状況だけれども、『全員』で伸びていこう」、「この状況だけれども、『全員』でハッピーになろう」という願いを伝え、「目の前に見えていることだけではダメだよ。『全員』だからね」というメッセージを伝えれば良いのだと思います。これなら十分なネット環境が無くてもできます。場合によってはチャットなどを用いたりして個別に面談をして、「自分だけではダメだよ。『全員』だからね」ということを強調することもできるでしょう。

 

 先生の仕事と従来考えられていたこと(思い込まれていたこと、と言った方が正しいかもしれません)は、現状ではできません。それならば、「今できることを全力でやる」しかないのです。私は「可視化」・「評価」は現状でも十分可能だと思っています。

 

 

 今回の上越『学び合い』の会に参加して思ったことを書いてみました。書きながら、ちょっと尖りすぎかな、と思う部分もあるので、不快に思われた方がいらっしゃたら申し訳ありません。

 

 

 最後に、このような機会を設けていただき、西川研の方々にはお礼申し上げます。ありがとうございました。