神奈川『学び合い』の会(20200209)
本日は、神奈川『学び合い』の会に参加してきました。今回は、中学校数学の模擬授業とフリートークがメインでした。
『学び合い』の授業に生徒側として参加すると、毎回たくさんの気づきがあります。今回は、授業者側の視点と、生徒側の視点の2つに絞ってまとめたいと思います。
まず、授業者側の視点からの気づきです。今回の模擬授業を担当してくださった方は、『学び合い』を始めて2年くらいだそうです。その方の「語り」で印象的だったのが、
「分からない」ということを楽しいと思えるようになって欲しい。
という言葉でした。
「勉強は、分かると楽しいよ」という人がいますが、それによって「分からないことは悪いことだ」と子どもたちに価値づけをしてしまっているのではないか。
「分からない」ということで不安になる人もいるだろうけど、「分からない」ことは悪いことではない。
と、授業を担当した方は併せて仰っていました。
これまで私自身も、「勉強は、分かると楽しいよ」というように話をしていました。しかし、確かに「分からない」ということはつまらない、悪いことだ、と価値づけしているように解釈することもできます。そういったところまで考えることができていなかったな、と気づくことができました。
また、授業中の声かけも、私とはやり方が異なる点に気づきました。私は生徒たちに活動中に声かけをするときは、全体に聞こえるような声量で話をします。一方で、授業を担当された方は、いわゆる「上位2割」の生徒の近くで、その生徒に聞こえるようにボソッとつぶやいていました。
どちらが良い、悪いということではないと思います。ただ、両方できた方が良いことに越したことはありません。明日以降の授業でチャレンジしてみたいと思います。
さて、次は生徒側の視点からの気づきです。私が生徒側で『学び合い』の授業に取り組むと、「初対面の方とのコミュニケーションを取ることに対する抵抗感」があることに気づきます。
例え初対面であっても、相手についてある程度情報(相手の立場など)がある場合は何ともないのですが、完全に初対面の方で、相手がどのような方なのか分からない状態だと、話かけることに躊躇してしまっている自分に気づきます。
今日の課題自体は、5分もかからずに解くことはできていましたが、周りの人たちが黙々と問題を解いている中、自分から声をかけて「説明してサインをもらう」ということに時間がかかってしまいました。
上記は自分のダメなところですが、生徒たちと同じ立場で授業を受けることで、こういった葛藤を生徒たちは毎時間味わっているんだ、と気づくことができます。
生徒たちは目の前の1時間ではなく、長いスパンをかけて、徐々に「自分の課題」(私の場合は、「初対面の人に自分から声をかける」という課題)を克服していくのだと思います。
そう考えると、毎日が「成長のチャンス」です。これを生かさない手は無いと思います。
生徒側の立場で『学び合い』に参加し、生徒側の視点で気づきを得ると、「語り」に深みが出るように感じています。明日の「語り」でどのようなことを話そうか、いまからワクワクしています。
とりあえず、現時点での気づきを備忘録も兼ねてまとめてみました。明日から、また頑張りたいと思います。