共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

「遠回し」な「語り」

 今日は、校長・副校長・教頭が授業に参観していただく、授業観察がありました。参観いただいたあと、最後の「語り」について、「全員があの内容を理解できているのかな?」とご指摘をいただきました。そこで、私なりの答えを書き残しておきたいと思います。

 

 

 私の「語り」について、アンケートの中で、「遠まわしに言い過ぎていて、意味が良く分からない」と書いてくれた生徒がいました。私はそれでも良いと思っています。

 

 『学び合い』を始めたばかりの頃は、「語り」の内容を全員の生徒が分かることを願いながら話しをしていました。しかし、どんなに願いを込めたとしても、願いを込め過ぎて泣いてしまったときでさえも、全員には伝わりませんでした。それにイライラして、生徒に当たってしまったこともありました。それでは授業が上手くいくわけはありません。

 

 『学び合い』のセオリーでは、「上位2割の生徒」を動かすことが大切です。「語り」も、「上位2割の生徒」に伝わる内容で良いのだと思います。(ちなみに、中間層の6割の生徒もどのように動かすか、ということも重要ではあります。)

 

 

 今日の「語り」は、かなりのメッセージを込めたつもりです。今日の授業クラスでは、始めたばかりの頃は、数人の生徒が一人ぼっちになってしまっている、というクラスの闇が目立っていました。しかし、最近はそういった生徒を一人にしないように、周りを見ながらフォローしてくれている生徒も出てきており、一人ぼっちの生徒は目立たなくなってきていました。

 

 そのような状態まで来ているのであれば、次は「仲良しグループ」に甘えている生徒たちを動ける状態にすることが、次のレベルであると考えました。

 

 そこで、「『楽しい』と『楽』は違う」という内容で「語り」を行いました。仲良しグループで固まっていることは、「楽しい」ではなくて、「楽」だからではないのか。手を抜いているのではないか。さらに上に行くには、このままではいけないよ。というメッセージを、「遠回しに」伝えました。

 

 このレベルのことは、「上位2割の生徒」に伝われば十分だと思います。授業後に質問をされた方にも、意図はお答えさせていただきました。

 

 私たちが見なければいけないのは、彼らが「大人」になったときのことです。そのためには、集団のレベルを高めていかなければいけません。今日の「語り」は「遠回し」だったとしても、必要なことだったと思っています。