共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

授業見学

 本校では、先生方同士で気軽に授業を見学し合える雰囲気を作るために、互いの授業をノーアポでも見学しに行ける期間を設けています。今日からその期間でしたので、早速、他の先生の授業を見学させていただきました。(念のため、先週のうちからアポイントメントは取っておきました)

 

 私が担当している科目と同じ科目を担当されている先生の授業を見学させていただきました。私に無い部分をたくさん持っている先生で、それを遺憾なく発揮し、魅力的な授業をされていました。

 

 生徒と上手くかけあいをしながら、生徒の答えが的外れなものであったとしても授業の展開に話を戻して進めていくことが上手かったです。私はそれが非常に苦手なので、一方的に話してしまったり、別な方向に逸れていってしまうことが多いです。

 

 良い点はたくさんありましたが、やはり教師主導での講義やペアワーク、グループワークは少し違和感がありました。違和感をできる限り言語化してみたいと思います。

 

 まず、「答えを教員が握っている」という点に関して。教員が「どう思う?考えてみよう」と生徒に投げかけた所で、生徒たちは明確な答えが無いと不安に思うと思います。そのため、自分の考えや答えを隠してしまいます。今日の授業でもそのような姿がかなり見受けられました。せっかく自分の考えがあるのだから、表に出していけば良いのに、と思うのですが、教員の答えを待った方が「楽」という現実があるからなのだろうと思います。

 

 また、「話を聞く」ということはかなりの集中力を要する、ということも、感じました。今日の授業中に、生徒の目線で授業を見学する時間も設けましたが、教員の話したことを理解するために咀嚼していると、たまに聞き逃してしまいます。すると、途端に何の話か分からなくなります。そして、かなり集中力を使うので、時間が経つにつれて聞き逃すことが多くなります。以降は悪循環です。これを強く感じました。

 

 

 今回の見学を通して、自分だったらこうするな、ということを考えるきっかけにもなりました。「自分だったらこうするな」という感覚は、「自分」が無ければできません。自分がどうしたいか、どのようなことを大切にするか。そういったことを私自身も持てているということでしょうか。


    一斉授業と『学び合い』は、どちらが良い悪いではないと思います。どちらにせよ、「信念」を持っていることが大切なのでしょう。