共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

経験があるか、ないか

 ここ数日のテストの結果の記事を読んでいただいた方から、質問をいただきました。今日はそのことを中心にまとめたいと思います。

 

 まず、質問をしていただいた方は、「自分が作ったテストだと良い結果だが、相方の先生が作ったテストだとダメになってしまう」という状態のようです。実は、私もこれまではこのような状態でした。しかし、「あること」に気付いたことがきっかけで、今回のテストではこの状態を解消することができました。

 

 これまでの私の授業は、教科の理解を促すための授業プリントのみを与え、「全員が説明できるようになる」という課題で授業を進めてきました。しかし、この授業スタイルでは、テストで「説明問題は解けるが、一問一答は解けない」という状態でした。さらに、相方の先生が作ったときは説明問題が少ないため、担当クラス間での平均点の差が大きいときもありました。(私のクラスの方が5~10点ほど低いこともありました)

 

 上記のような授業スタイルで進めていたときの私は、「説明できれば理解しているので、暗記もしやすいだろう」と思っていました。しかし実際は、生徒からは「どこが大事か分からない」という声が上がっていました。私は「なぜ、どこが大事か分からないのだろう」と常に疑問に思っていました。ですが、逆転の発想をして、「なぜ、我々教員はどこが大事か分かるのか」という問いに変えたところ、「当たり前」のことに気付きました。その答えは、知識を獲得した上で「様々な問題を解いたから」です。私が気付いた「あること」とは、このことです。

 

 私は高校時代から数えて、世界史の教科書を15周以上は勉強しています。その中で、様々な問題を解いてきました。それ故、「どの用語が問われやすいのか」ということを「経験則」で知っています。だから、「どこが大事なのか」ということに気付くことができるのだと思います。

 

 しかし、生徒たちは「経験」が無いのです。だから、「どこが大事なのか」判断できないと考えました。こうして、「やはりテストの点数を上げるには、『問題演習』を通して『経験』を積めるような仕組みを作らなければダメだ」と考えるようになりました。これが、今学期から「単元小テスト」を取り入れ始めた経緯です。

 

 その効果はしっかりと表れました。小テストで「アウトプット」の練習を行うことで、「どこが大事なところなのか」ということを生徒たち自身が判断できるようになったからです。その証拠に、「どこが大事か分からない」という声は無くなりました。そして、テストでも一問一答形式の問題の正答率が明らかに向上しました。

 

 

 

 上記のことも、考えてみれば「当たり前」のことです。ただ、私の目指すところは「テストの点数が向上する」ことではなく、「全員が世界史を分かって欲しい」ということです。上記のやり方では、単に「テストで得点できる」というところで留まってしまいます。今年はここまでしか来れず、生徒をさらに伸ばしてあげられなかったことは、本当に申し訳ないと思います。単純に、私の力不足です。

 

 来年度の生徒はさらに力を伸ばしてあげたい。そのための手立てを現在は考えています。方向性としては、「授業プリントをよりシンプルにした上でさらなる『理解』を促し、問題演習をたくさん行って『経験』が積めるような環境・仕組みづくり」と、「その環境の中で『一人も見捨てないことは、自分にとって得だ』と全員が思えること」が理想です。この構想が練れたら、改めてこちらに書きたいと思います。頑張ります!