共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

批判意見の裏にあるもの

 今日はテスト返却期間中のため、授業は行っていません。テスト返却をしながら、独自に授業アンケートを実施し、生徒から感想や意見をもらっています。選択クラスで、生徒との信頼関係が他クラスと比べて結べなかったと感じるクラスが1つありました。そのクラスでの授業アンケートの自由記述欄では、色々なことを書いてくれました。

 

 肯定的な意見としては、「自分で考える力が身についた」などと書いてくれる生徒も多数いました。一方で批判的な意見を書いてくれた生徒も一定数いました。しかし、そういった批判的な意見を書いてくれた生徒の多くは、授業中には課題に集中して取り組めていなかったような気がします。それなのに「授業の内容が良く分からない」などと意見をしてもらっても、説得力に欠けます。ただ、文句を言っても変わりません。問題は、「そういった生徒たちは、なぜ授業に集中できなかったのか」ということです。人間関係などの要因があるのだと思いますが、グループに固執してしまい、グループ間での声かけも少なかったことも原因のような気がしています。

 

 『学び合い』の考え方による授業を行う際に非常に重要になるのが、「お互いが認め合える集団であるかどうか」ということだと思います。このクラスは選択クラスで2クラス合同のため、「お互いに認め合える」という状況が作りにくかったというのが正直なところです。さらに、一つのクラスの生徒は積極的だが、もう一つのクラスの生徒が消極的という状態もあり、生徒同士で指摘しづらかったと思います。この辺りについては、「私語をしている生徒などについては、先生が注意して欲しかった」という意見もありました。来年度の改善点にしたいと思います。

 

 

 ただ、ここまでこの記事を書いていて思うことは、「私の心次第だったな」ということです。私自身が一部の生徒となんとなくギクシャクした状態で授業を行うことで、全体にもギクシャクした雰囲気が伝染してしまったのだろう、と今になっては思います。

 

 今年度はギクシャクした関係の生徒に対して「個別に対応する」ということができませんでした。来年度は「集団にアプローチする」という面と、「個別に対応する」という面の両面から生徒との信頼関係を結んでいく必要があると感じています。