共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

令和

 本日より元号が変わり、「令和」になりましたが、特に意識していなければ私の周りの日常は変化していません。ただ、時代の切り替わりの場面であることは確かです。

 

 この「特に意識しなければ」という部分に関して、我々教員、特に歴史に携わる教員は敏感でなければならないと思います。「特に意識しなければ」ということは、裏を返せば、「意識できる部分はたくさんある」ということです。

 

 元号が「令和」に変わったということを、どのように捉え、どのように伝えるのか。この辺りは歴史教育に携わる教員としては非常に重要だと思います。

 

 ただ、その「意識した部分」というものに妥当性があるかどうかは分かりません。私が解釈して伝えるため、「私」という価値観が入り込みます。そのことにも自覚的でなければならない、とも思います。

 

 結局のところ、「意味は自分で見つける」ということになるのでしょう。私に言われたから、先生に言われたから、ではなく、最終的には自分で決める。これができる人は、「自分で考えることができる人」である必要があると思います。

 

 どうやって「自分で考えることができる人」を育てるか。最近はこういったことを考えています。