共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

哲学的

 先日紹介した、『学ぶということ』を読んでいます。

 

 

非常に興味深い部分が数多くありますが、それに基づいて『学び合い』の考え方について考えれば考えるほど、「哲学的」だな、と思います。

 

 例えば、『学び合い』においては、「一人も見捨てない」という根幹部分は、「一人も見捨てないということは『自分にとって』『得』である」ということを理解できるか否かが重要であるとされています。しかし、本によると、この「自分にとって」という部分は、近現代以降に西洋的な考え方が入ってきてから生じたものだそうです。

 

 「自分にとって」という西洋的な考え方は、それまでは日本社会の中では存在することはありませんでした。それは、日本の家族形態に起因するそうです。しかし、第二次世界大戦以後、アメリカ主導で日本の再建が行われ、それによってアメリカ式の経済、それに対応する家族形態(核家族)が日本に取り入れられ、「自分にとって」という考え方も入ってきました。

 

 それ故、「意識」の部分ではすでに日本人は「自分にとって」という部分は取り入れられているが、「無意識」の部分では、まだ受け入れられていない部分があるそうです。しかし、世界の経済システムは、「『自分にとって』どうすることが『得』か」という観点で回っています。それに対応することができなければ、世界経済の中で没落するのみです。そして、没落を防ぐためには、この「『自分にとって』『得』である」という部分が今後は「無意識」レベルで受け入れることも必要になります。では、どうすれば良いのか・・・。

 

 「哲学的」です。こういった部分については、私の浅い理解ではまだよく分からない部分は多いです。しかし、だからこそ学び続けることが必要なのだと思います。