共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

『何故理科は難しいと言われるのか?』読了

今日は、タイトルの通りです。先日から読み始め、昨日読み終わりました。アウトプットも兼ねて、感想を書きたいと思います。



『何故理科は難しいと言われるのか?』という題名ですが、私自身、もともとは理科(生物)の教員になりたかったので、理科を難しいと思ったことはありません。ただ、数学があまりにもできなかったので、文系に進み、社会科の教員になりました。

そのため、本書にあるような、「同じ計算」を数学として解く、理科として解く実験に関しては、数学の方がダメかもしれません。

しかし、そのように考えると、「苦手意識」とはかなりの影響力を持つと思います。脳科学でも、ある対象を「苦手」とか「嫌い」と思うと、脳の機能が低下してしまう、ということを聞いたことがあります。本書の実験を読み、改めて「苦手意識」について考えることができました。



また、第3章の「認知スタイル」に関する記述は非常に興味深かったです。さらに、「異なる認知スタイル同士が協力し合うことで、それぞれを補完し合い、単独や同じ認知スタイル同士で観察し合うよりも多くの要素を書き出すことができる」という実験結果も、非常に興味深かったです。多様な人と折り合いをつけることで、こんな利点もあるんだ、と発見できました。



さらに、第4章から第5章にかけての、「強固な誤解が概念獲得を阻害しているのではなく、強固な誤解がないことが概念獲得を阻害している」ということに関する記述は、まさに目から鱗でした。

これは、言い換えれば「何も考えていないのはダメ」ということだと思います。「自分の考えを持ち、検証し、正しいかどうかを確かめる」という過程の重要性を再認識できました。この辺りを授業の課題にどう組み込むか。難しいですが、考えていく価値はあると思います。



第9章の、一般社会における知識伝達の3つの階層である、「ブレイン」、「ゲートキーパー」、「エンドユーザー」の話も面白かったです。西川先生は、この話を「病院」に例えることが多いと思います。したがって、この3つの階層は、考え方次第では、あらゆる部分で適用できるということです。

本書にもありましたが、この3階層が「教室」という空間で自然発生しないのは、その発生を阻害する何かが教室にはある、ということです。

私は、「子どもたちが20年後も幸せである」ためには、「社会的経験を学校で積む」ことが必要だと思っています。しかし現在は、「子どもたちがほとんどの時間を過ごす学校や教室が、一般社会と乖離してしまっている」という矛盾が存在しています。この矛盾を解消するためには、学校や教室が一般社会になる必要があると思います。

麹町中学校の工藤校長は、「社会に開かれた学校」よりも、「『社会が丸ごと入った学校』にしたい」とおっしゃっていました。私も、この考えに賛成です。

では、どのようにして実現するか。そのために、『学び合い』の考え方が必要だと思っています。




『何故理科は難しいと言われるのか?』の感想をまとめるうちに、自分の『学び合い』に対する考えも まとまった感じがします。続いて、他の本も読み進めていきたいと思います。