共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

昨日書き忘れたこと

 昨日の記事で書こうと思っていたことを書き忘れていたので、本日はそれについて書きます。

※昨日は、「採点をしていて気づいたこと」についてまとめました。

 

tomonkey-521.hatenablog.com

 

 

 さて、本題です。

 

 私の授業では、授業で学んだ内容を「説明できる」ということを、毎時間の目標にしています。理解できていれば自分の言葉で説明できると思うからです。また、人間の脳の機能から考えると、「理解を伴った学習」の方が定着率は高いです(この辺りは「エピソード記憶」と関連します)。そこで、私は「説明できる(くらい理解する)」ことを求めているわけです。

 

 一方で、現行の世界史や日本史や公民のテストは「暗記重視」です。知識の再生能力が問われるので、言ってしまえば「理解していなくても点数が取れる」ということです。つまり、テストの点数だけを求めるのであれば、「理解しなくても点数を上げること」はできます。

 

 しかし、「暗記して、それを再生する能力」だけではこれからの社会を生きていくには、正直厳しいと思います。生徒の20年後、30年後の幸せを願うのであれば、「説明できる(くらい理解する)」という部分は求め続ける必要があると思っています。ですが、「『テストの点数』をしっかりと取れるようになりたい」という生徒のニーズも満たさなければいけないと思っています。

 

 

 話が逸れてきたので、無理やりまとめます。


    私の今後の課題だと思っていることは、「説明できるくらい理解している生徒なのに、点数が伸びない生徒もいる」ということです。


つまり、

 

「『理解できたから説明できる』のか、

 『覚えたから説明できる』のか、ということは良く分からない」  

 

 ということです。

 

 私の感覚としては、「『理解できたから説明できる』し、『覚えることもできた』というものなのですが、先日も書いた通り、生徒たちは多様です。「『覚えたから説明できる』ようになり、『理解することもできた』」という生徒もいるはずです。

 

    もしかしたら、最終的には「何も見ないで説明できる」ところを求めなくてはいけないのかもしれません。



 この辺りのモヤモヤした部分を解消できるように、「選択式の課題」もありなのかな、と考えています。同時に、生徒自身が自分に合ったベストな方法を「選択」して学習に向かう、という主体性も身につけることが出来るのではないか、とも思っています。

※選択式の課題についてはこちら。

 

tomonkey-521.hatenablog.com

 

 

 上の記事でも書いていますが、具体的に落とし込むのが難しいです。焦って導入したところで上手くいかないと思うので、じっくりと考えていきたいと思います。