共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

問題の本質

 本日は入学式でした。いよいよ今年度がスタートするという感覚になります。昨年は自分の学年が入学式でしたが、今年は次の学年の入学式で、文字通り「あっという間」に1年が経ったことも実感しました。「あっという間」に日々が過ぎていくなかで、こうしてブログに書き込みながら1日を振り返ってみることは、非常に大切なのではないかと思っています。

 

 さて、今年度は、2学年の世界史B(近代~近現代)と、3学年の世界史B(中世~近代)を担当することになりました。今年も『学び合い』の考え方に基づく授業を実践しようと思っていますが、去年1年間の実践を踏まえた上で、『学び合い』をやるかやらないかで、非常に迷っています。

 

 いや、本当のところは「『学び合い』について悩んでいる」というより、「生徒との距離感の取り方や、対応の仕方」に悩んでいるのではないかと思います。このことについて、どこか認めたくない自分がいることも何となく薄々気付いています。ですが、上手く言葉にまとめることができません。複雑な感情が入り混じっています。

 

 『学び合い』は今後も続けたいです。「生徒の活動を見て、成長を感じ、涙することができる授業」は、他にはなかなか無いと思います。その反面、「生徒と共につくる授業」であるからこそ、生徒からの批判などを受けることがあります。そのときに「生徒との距離感の取り方や、対応の仕方」が下手な私は、生徒とぶつかってしまいます。ここが『学び合い』をやる上での私個人の課題でもあり、教員の能力としての課題でもあります。ですが、それを認めたくない自分もいるのです。だから『学び合い』をやるか、やらないかで迷うのでしょう。問題の本質はそこではないはずなのに。

 

 この件については、もっと時間が必要です。自分自身と向き合って、解決に向けてもがくしかないと思います。