共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

20190519神奈川『学び合い』の会

  昨日は、神奈川『学び合い』の会に参加しました。

 

 午前の部は、「『学び合い』×学級経営」についての分科会に参加し、『学び合い』実践者の方々と議論をしました。やはり、アウトプットすることで思考が明確になります。普段無意識に行っていたことについて質問がありましたが、それに答えている間に、「あー、自分ってこんなことに気を付けていたんだな」と気づけるのです。

 

 その中でも今日一番の収穫は、私自身が「『声かけ』を通して、生徒に対して『見ているよ』とメッセージを送る」ということをしていたことです。どんなことに気を付けて見取りをしているのか、どのような基準で声かけをしているのか。そういった質問の中で出てきた答えです。無意識に行っていましたが、なるほどな、と自分で納得しました。

 

 

 午後は中学国語の『学び合い』の模擬授業でした。こちらも非常に学びがありました。

 

 まず、斎藤茂吉の「死にたまふ母」の中の短歌がランダムに並んでいるものを、正しいものに並び替える課題についてです。私は「これは絶対に、この選び方しか無いだろう」と思っていたのですが、参加されている方々の答えは多様で、そのように考えた根拠も納得できるものでした。

 

 ただ、私の良くなかった点は、それを心の底から認められなかったことです。心のどこかで「いやー、絶対自分が考えたやつしか無いだろう」と思ってしまったことです。自分自身の考えを正当化しようとしてしまっている自分がいました。

 

 しかし、他の参加者の方(『学び合い』実践者)の話を聞いていて、「この多様性に気付けることが『学び合い』の良さ」であり、「それを認め合える集団を作ることが大切」ということに気付かされました。

 

 自分もまだまだだな、と思いました。生徒に対して多様性を認めることを求めているのに、自分自身が出来ていないのです。

 

 ただ、ここでこのことに気付けたのは収穫でした。「失敗をどう生かすか」。これも生徒に対して求めていることです。これは私の得意分野です。昨日学んだことは、今後に必ず生かします。

 

 

 

 何事もそうですが、自分自身が成長し続けなければ、色々なことの「先」はありません。『学び合い』の会の良い所は、同じ志を持った人たちと関わることができ、刺激を受けることができることです。昨日の会は、自分自身の成長にとって有意義なきっかけになったと思います。ただ、まだ「きっかけ」に過ぎません。これを生かすも殺すも自分次第です。必ず成長に繋げ、まだ「先」を求め続けていきたいです。また頑張りたいと思います。