批判的に「当たり前」を考える
今日のブログは少し攻撃的に感じるかもしれません。気分を害したらすみません。
もう1ヵ月くらい前になりますが、ダルビッシュ選手のインタビュー記事が印象に残っています。以下の記事です。
以下、記事より引用です。
>> 頑張り過ぎなくていいんです、日本の球児は。何百球の投げ込みとか、何千本の素振りとか、そんなのを頑張っちゃダメなんです。
日本の高校野球では、正しい知識を持たない監督やコーチが、自分の成功体験だけに基づいて無理を強いる。そういう側面があると感じます。改善されてきているのでしょうが、壊れてしまう選手、苦しむ選手は後を絶ちません。
指導者には正しい知識を身につけて欲しい。例えば休養の重要性です。筋力トレーニングは、ほぼ毎日頑張るよりも、週に3日程度は休みながら行う方が結果は上になったりするのです。いまだに冬に10日、夏に5日程度しか休まないような野球部が珍しくないでしょう。僕が監督なら週2回は休むし、全体練習も3時間で十分。そのくらいの方が成長するのです。 <<
私は「自分の経験」から導き出される方法が、必ずしも全員には合わないと考えています。
私と同じだけの練習を、選手に同じようにやらせたら、私と同じくらいのレベルの選手ができる、ということはあり得ません。その選手の課題を克服するために必要な練習を、適切な量こなすことで成長できると思います。「自分が上手くいったから、このメニューをやれ」は指導者の自己満だと思います。
だからこそ、私は様々なことを勉強したいと思います。子供たちの将来を本気で考えたら、勉強するしかないと思います。
「当たり前を意識する」ということが私の人生のテーマであることを、以前ブログで書きました。野球界や、日本のスポーツ界で「当たり前」になっている長時間練習や根性論は、本当に良いことなのか。「当たり前」になっていることに対して批判的な観点で考えることで、新しい考えが生まれてきます。
教育に関しても同じ意識があります。「当たり前」のように教員が生徒に向かって説明する授業。この「当たり前」は本当に生徒にとって良いものなのか、疑うことが必要だと思います。
「子どもたちのため」という言葉を使うのであれば、本当にそれは子どもたちのためになっているのか「当たり前」を疑うことも必要だと思っています。