共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

経験の言語化シリーズ3

本格的に授業が始まって1週間以上が経過し、生徒たちもだんだんと『学び合い』の考え方に基づく授業にも慣れてきた様子が見られてきました。


「慣れ」は良いものだと思いますが、「油断」とも隣り合わせだと思っています。3回ほど授業を重ねると、生徒たちの授業中の行動にも「油断」が生じてきます。


『学び合い』の考え方に基づく授業では、基本的には「褒める」などの「プラスの評価」で生徒たちにメッセージを送ることが大事だと思いますが、「油断から生まれる行動」に対しては、「それは違うんじゃない?」というメッセージを送らなければいけません。


「油断から生まれる行動」を見て見ぬふりをしていると、必ず集団がダレます。毅然とした態度で指摘していかなければいけないと思います。



「良いことには全力で褒め、ダメなことはしっかりと指摘する」


このバランスをしっかりと取っていくことを、「慣れ」が出てくる時期には特に意識しています。

経験の言語化シリーズ2

経験の言語化シリーズ第2段です。今回のテーマは、「声かけの切り替え時期」についてです。


シリーズ第1回は「価値観の共有」についてでしたが、その中で「初回から数回目にかけて意識していくこと」などを書きました。


これを書きながら、いつまでこれを意識して、何を判断基準にして次のステップに切り替えているのだろう?と疑問が出てきたので、まとめてみたいと思います。



結論から述べると、次のステップに移行するタイミングは、「その声かけによる生徒の変容が見られなくなるまで」だと思います。


「声かけ」の中には、継続して使用するフレーズがあります。たとえば、初回から数回目までは「価値観の共有」を意識した「声かけ」になっています。


ある「声かけ」をすると、それを有効なものだと捉えた一部の生徒たちの行動が変容します。その変容が見られるうちは、その「声かけ」は有効なのだと思います。


一方、それが生徒たちの中で「当たり前のこと」になると、こちらの「声かけ」による変容が見られなくなる時期が来ます。おそらく、生徒たちの中にその行動が内在化、もしくは不要なものだと分類されたからだと思います。


こちらの「声かけ」による変容が見られなくなったら、教員も変化していく必要があります。そのときが、「価値観の共有」を目指す「声かけ」からの転換期だと思います。

削ぎ落とすほど増える

今年度は、ほとんどのクラスが『学び合い』初体験なのですが、高校3年生のクラスは昨年度も『学び合い』で授業をしていたので、継続する形で入れています。


授業で用いる課題について、内容を一新したことは先日の記事で書きました。今のところ上手くいっている部分もありますが、そうでないところもあります。


理解が深まらないなどの問題が生じたときは、やはり課題の量が多過ぎたり、質問がマニアック過ぎたりする場合がほとんどです。


キーポイントを押さえて、余計なものを削ぎ落としていく。この作業をより丁寧に行っていく必要があります。


しかし、今までよりも確実に生徒間の会話の内容が濃くなっていることを感じています。余計なものを削ぎ落とすほど、生徒の会話の質や量は増えていくのだと思います。


もっともっと私自身が進化していく必要があるのだな、と改めて感じています。

初回から数回目の授業にかけて意識して取り組んでいること

今日から本格的に授業開始です。前回の記事で書いた「経験の言語化」シリーズに取りかかってみたいと思います。


今回のテーマは、「初回から数回目の授業にかけて意識して取り組んでいること」です。


初回の授業から数回目にかけて特に意識していることは、「価値観の共有」です。その際に注意していることは、「声かけ」をいつもより頻繁に行い、「◯◯するのはいいね!」などのように、プラスの評価をすることです。一方で、「全員達成」に繋がらないことに関する「声かけ」は、授業中に極力行いません。マイナス面に関しては、授業の終わりの「語り」でまとめて伝えています。


こちらが評価する=良いこと。裏を返せば、評価しないこと=違うこと。という構図を意図的に作っています。


そのようなやり取りの中で、生徒たちの間に「これは良いんだな」、「これはダメなのか」といった価値観の基準を作ってもらうイメージです。


また、終わりの「語り」でも「価値観の共有」を意識します。

今日伝えたことは、

「『分からない』ことは悪いことじゃない。『分からないことをそのままにしておく』ことが悪いことだよ。」
「『分かった』になると楽しいよ。みんなが『分かった』になると、みんながハッピーになるよ!」

ということです。


どちらも「価値観」に繋がることだと思っています。この考えに共鳴してくれる人が少しでも増えてくれるといいなー、と願いながら話をしました。


最初期には、こういったことを行っています。しばらくはこのテーマでいくので、振り返りも兼ねて、また書きたいと思います。

経験の言語化

月曜日から、本格的に授業が始まります。生徒たちがどんな姿を見せてくれ、どんな成長をしていくのか、すごく楽しみです。


さて、私が『学び合い』の考え方に基づく授業を始めてから5年が経過しています。年々、クラスの状態が「去年と同じレベル」に到達するまでのスピードが上がっています。その辺りは経験上、「こういう時はこうだな」と分かってきているからだと思います。


そこで、しばらくはその経験を言語化していきたいと思います。言語化することで、無意識に行われていたことに気づけるかもしれないからです。シリーズ化できるかは分かりませんが、頑張って書いてみます。

授業びらき

 本日より、新年度の授業が始まりました。今年度の担当クラスは、ほとんどが『学び合い』の考え方に基づく授業は初めてなので、最初は「授業びらき」から入ります。

 

 

 「授業びらき」は、Find!アクティブラーナー で公開されていた、『学び合い』の授業びらきの動画を参考に構成しています。

 

 この「授業びらき」では、「教員の授業に対する考え」・「生徒に求めること」などを伝えます。それらを伝えた上で、「いつもの授業」の形式で問題を解き、その後、『学び合い』の形式で問題を解きます。

 

 『学び合い』の形式で問題を解くと、さっそく生徒たちのイキイキとする姿が見えて鳥肌が立ちました。この勢いで1年間通してやっていけるといいな、と思いました。

 

 次回からはいよいよ本格的に授業開始です。しっかりと準備をして臨みたいと思います。

支えられているのだ

現在の学校に勤務して、今年度で2年目になります。現在の学校は、前任校と比べ、そもそもの仕事量が多いと思いますし、同じような仕事でも勝手が違う部分もあり、昨年度はかなり苦労しました。


2年目になり、ある程度の見通しを立てた上でやるべきことも考えられるようになったと思います。しかし、もっと実感していることは、私自身が「周りの先生方にかなり支えられている」ということです。


今年度のこれまでの年度初めの業務をやってきた中で、「あれ?これ、去年やってないぞ」と思い当たるものがいくつかありました。思い返せば、同じ学年団の先生方が手分けをしてやってくれていたものでした。


私が異動したばかりでドタバタしていたので、気を遣ってくださったのだと思います。ただでさえ皆さん多忙なのに、頭が上がりません。


さて、2年目としてできることが増えている分、私が「恩返し」や「恩送り」をする番です。しっかりとアンテナを張って生活していきたいと思います。