共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

中学生と

 本日から本格的に学校再開です。約2ヶ月ぶりに中学1年生の授業がありました。授業開きとして『学び合い』の考え方に基づいた授業を体験してもらってから時間が空き、多少の不安感もありましたが、概ね良かったのではないかと思います。


 高校生の『学び合い』と、中学生の『学び合い』での大きな違いは、「動き方」だと感じました。高校生だと「必要に応じて動き、必要でない場合は一人でやる」という印象なのですが、中学生は一度動き始めたら止まりませんでした。ただ、決して遊んでいるわけではなく、学びを深めつつもグループ間の動きが流動的で止まらないのです。年に何回か授業中に鳥肌が立つことがあるのですが、高校生との違いとそのダイナミックさを感じ、今日の授業で鳥肌が立ちました。


 反省点としては、今日の中学生の授業を通して、私の見取りの力量の無さを痛感しました。あちらこちらで動きが止まらないので、どこを見て良いのか分からなくなってしまった時間がありました。授業の終了後、冷静になってから反省してみると、ただ「『見ること』に徹する」ということが大切なのだと思いました。「焦って見た」ところで、状況は好転しません。力量不足で見えないなら、より「見ること」に集中するしかないのだと思いました。「見ること」に集中することで、その中でしか気づけないことが生まれてくるはずです。実際、今日は2クラスで授業をしたので、最初のクラスでは慌ててしまいましたが、次のクラスでは「見ること」に集中したので、最初よりは上手くできたと思います。


 また、中学生の『学び合い』は、より教員側の腹が据わっていないと上手くいかないな、と感じました。生徒側に忖度が生じないので、こちらの想いや願いがストレートに現れるように感じました。


これからの彼らとの関わりの中でたくさん壁にぶつかると思いますが、一つひとつ向き合って、共に成長していけたら良いと思います。