共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

「観る」と「褒める」

『学び合い』では、日々の子どもたちの変化や成長が見れます。しかし、それは微々たるものです。ですが、その微々たる変化を見逃してしまうと、『学び合い』は成立しないのだと思います。なぜなら、それらを見逃してしまうと、「褒める」ことができないと思うからです。

今日も、様々な変化がありました。昨日の授業では残念ながらウトウトしてしまっていた生徒が、今日の授業では、開始当初から自ら席を移動して世界史が得意な生徒と一緒に取り組んでいました。昨日の最後の語りでそこに触れたので、改善するために自分で考えて行動したのだと思います。私自身もそこに気づき、すぐさま「褒める」ことができました。また、周りの生徒に「分からないとこある?」と聞ける生徒もいました。今までは無かった行動です。これもすぐさま「褒める」ことができました。

ほんの少しの変化ではありますが、こうした生徒の変化・成長に授業中で気づくことは、『学び合い』を続けていないと難しいと思います。これは『学び合い』に取り組んで良かったと思うことの一つです。また、同時に自分自身の成長にも気づけています。私は、今まで「観る」ということが苦手でした。最近は「観る」ということに対して苦手意識が薄れてきています。これも、毎時間「観よう」と思って生徒を観ていたからなのでしょう。少しずつではありますが、私も成長しているということですね。