共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

「そういうことだったんだー」の一言

 今日の授業でも、想いを持って「一人も見捨てないこと」についての解釈を本気で語りました。すると、一人の生徒が「そういうことだったんだー」とつぶやいたのが聞こえました。

 

 その生徒は、これまでも周りを見ながら動ける生徒でした。いわゆる上位2割の生徒です。その中でもトップクラスの動きを見せていた生徒です。その生徒が、「一人も見捨てない」ことについて「そういうことだったんだー」とつぶやいたことは、大きな意味があると思いました。案の定、その生徒が今日の授業ではいつもと違う動きをしてくれました。

 

 私の授業は、「単元を任せる『学び合い』」をしており、単元の終わりには小テストを実施しています。その小テストの答えは、いつも教卓の上に置いてあります。今日は、その生徒が、

 

 「先生! 答えを黒板に書き写して、みんなで見れるようにしても良いですか?」

 

と聞いてきました。

 

 私は、

 

 「それが『みんなで満点を取る』っていう目標に必要だと思うなら、どうぞ。」

 

と返しました。そして、その生徒は、残りの活動の時間を板書に費やしました。

 

 

 この行動の持つ意味は、ものすごいものがあると思います。まず、「黒板に答えを写す」という行為は、自分にとって直接的なメリットはありません。その時間を、「暗記に費やす」ことや、「内容の理解に費やす」などの「自分のために使う」という選択肢もあったはずです。その生徒も、今まではそのようにして時間を使っていました。しかし、今回の「語り」を通して、その生徒の中での「一人も見捨てない」ことの意味が変わり、「今まで通りではいけない」と考えたのでしょう。そのため、「自分には直接メリットはないが、多くの人にとってメリットがある行動」をとったのだと思います。「一人も見捨てないことは、自分にとって得である」ということが、その生徒も腑に落ちたのではないかと思います。

 

 そして、その行動を見て、多くの生徒が振り返りシートに「●●さんが、黒板に答えを写してくれて助かった」などと書いてくれました。それらの生徒にも、「自分たちのために頑張ってくれている人がいる」ということが伝わった結果だと思います。

 

 残念ながら、このようなことがあっても、遊んでいる生徒や、手を抜いている生徒がいるのが現状です。しかし、「分かってくれる子」は分かってくれたと思います。これからは、その生徒たちが周りの生徒を変えてくれると信じています。

 

 今日の一人の生徒の行動が、そのクラスの今後を大きく変わるきっかけになるのではないかと思います。私はその手助けをしたいと思います。「変わりたい」と思って行動するのは私ではなく、生徒・集団ですから。