共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

私にしかできないこと

本校は、本日からテストです。世界史は明日です。今回、世界史Bは全クラスでフルの『学び合い』で進めました。その結果はどうなるんでしょうか。明日から採点頑張りたいと思います。

テストの結果が出たら、振り返りが必要です。子どもたちと同じく、私もやりっぱなしではいけません。「共につくる『学び合い』」ですからね。テスト全体の結果を見て、授業改善に生かす。これは「私にしかできないこと」です。

これに関連して、普段から意識していることとして、「私にしかできないこと」、「子どもたちにしかできないこと」、「私でもできること」、「子どもたちでもできること」などの区別を意識しています。『学び合い』で授業をすると、「私にしかできないこと」というものは少ないです。それは、環境づくりだったり、評価であったりです。通常の授業は「先生が教える」ところを子どもたちに任せるのですから、当然です。しかし、任せることで全員を理解させることができる「可能性」が生まれます。

全員を理解させたいならば、教師が教えていては不可能です。これは学術研究に基づきます。『学び合い』では子どもたちに学習(教授)を任せるからこそ、全員が理解できる「可能性」が生まれます。あくまで「可能性」です。授業に参加する全ての人が全力で取り組んで、やっと全員が理解できると思っています。手を抜いていては全員が理解することは不可能です。『学び合い』だから全員が理解できるのではありません。(こういった点が、西川先生が「『学び合い』は完璧ではない」とおっしゃる所以でしょう。)

「全員が全力を尽くさなければできないこと」を達成するためには、「私にしかできないこと」を全力でやる必要があります。「子どもたちにしかできないこと」を全力でやる必要があります。その上で、やっと全員が理解できると思います。さらに言えば、「子どもたちでもできること」である「教える」ということを教員がやっていたら、力の無駄遣いだと思います。つまり、「教える」ことを教員がやっている限り、全員が全力ではないのだと思います。だから、教師が教えていては「全員が理解できない」のだと思います。

こういった考えのもと、普段から「私にしかできないこと」というものを意識しています。「私にしかできないこと」を全力でやることが、大きな成果に繋がると思うし、子どもたちの幸せにも繋がるのだと思います。

・・・だいぶ偉そうなこと言ってますが、言ったからには私も頑張らなくてはいけませんね。明日から年末まで休み無しのノンストップです。体調には気をつけて、全力でいきます!