共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

「信用」と「信頼」~追記あり~

連日の忘年会です。お付き合いもありますが、体調だけは気をつけていきたいと思います。

今日の話の中で、「信用」と「信頼」について考えていました。

実はまだ飲み会中ですので、後ほど追記したいと思います。


~追記~
ある本の中で、作新学院高校の小針監督のインタビューがまとめられていて、そこで小針監督が「私は選手を『信用』していますが、『信頼』はしていません」とおっしゃっていました。私は、この言葉が非常に引っ掛かっていました。

私の解釈になりますが、「信用」とは、「信じて用いること」で、「信頼」とは「信じて頼ること」と解釈しています。そのため、小針監督は、選手を信じて用いているが、信じて頼ってはいない、ということになると思います。言葉遊びのようですが、この違いは大きいのかな、とずっと思っていましたが、昨日の忘年会の会話の中で、少し理解できたような気がします。

物事で結果を出している人の多くは、周りの人を信用しているのだと思います。自分の願いを達成するために、周りの人を信じて用いる。これができているのだと思います。そのためには、明確な目標を確立し、それに向かって個々人が全力を出せる環境を整える必要があると思います。こうして考えると、『学び合い』の考え方と同じですね。明確な授業の目標、願いを提示し、それに向かって個々人な全力を出せる環境を整え、授業を行う。やはりこれが大事なんだと思います。その一方で、明確な目標を提示できないと、周りの人に頼ってしまうことになると思います。「こんな感じにしたいんだけど、あとは勝手によろしく」と言われてもやる気は出ないと思います。

実は、昨日は私の同期数名と飲んでいました。「学年主任のやり方が気にくわない。だって、何がしたいか分かんねぇもん」と1人が言っていました。私は学年主任が何をしたいか、どういう学年にしたいか、どういう学校にしたいか、ということは理解できているつもりです。学年主任は子どもたちを集団で見る方です。そのため、言ってることや、やりたいことを自分になぞらえることができます。一方で、文句を言っていた同期は、子どもたちを個人レベルで見ていると思います。子どもたちの見方が違うので、「やり方が気にくわない」となるのでしょう。こうした反発は、学年主任の目標や、方向性がハッキリと明示されていないことからも起因していると思います。こうした話をしながら、同期にとっては「信じて頼られている」と思っているのかなー、と感じていました。

私は、より良い学年にするためには、教員集団の団結は不可欠だと思います。そのために私ができることをやりたいと思います。