共につくる『学び合い』

新潟の高校で世界史の『学び合い』に挑戦中!教員6年目。

授業アンケート

 テスト返却期間中に、各クラスで授業アンケートを行いました。形式は本校で共通して行っているものに準じており、自由記述欄もあります。自由記述欄に生徒の考えや意見を書いてもらえるように、「授業に対して思っていること、何でも書いてもいいよ。もっとこうするとやりやすいな、とか、気に入らないこととかあれば、どんどん書いて。」と伝えています。

 生徒は思い思いに書いてくれます。アンケートの答え方を見ても、生徒の個性が出ます。『学び合い』に合わない子のアンケートには、授業や私に対するだいぶきつい言葉も書いてあります。その度にショボーンとしてしまうのですが、それも一つの意見としてとりあえずは認めます。そして、「目的論」の立場から理由を考えてみます。「目的論」の観点でアンケートを見ると、だいたいのことは合点がいきます。少しずつでも『学び合い』に批判的な生徒の誤解を解けるようにしていきたいと思います。

 『学び合い』に合わない子も一定数いますが、一方で『学び合い』の良さを理解してくれている生徒ももちろんいます。これも面白いもので、両者はほぼ同数です。残りは中間層です。比率的にはちゃんと2:6:2になると思います。ただ、少し気になることがあります。それは、中間層の生徒の中で、アクティブ・ラーニングに肯定的ではない意見が散見されることです。その中でも多いのが、「普通の授業にしてほしい」というものです。「普通の授業って何?」と返したくなりますが、こうした意見が出る理由について、目的論から考えた私なりの解釈では、「教師が講義して板書する”普通の授業”の方が楽」ということなのだと思います。来年度に受験科目として世界史を選択する生徒の比率が少ないことは重々承知です。受験で世界史が不要な生徒にとっては、世界史の授業中にエネルギーを使いたくないのでしょう。いわゆる”普通の授業”なら寝てても、ボーッとしていても、内職していても授業は進みますからね。ただ、『学び合い』ではそれはできません。徹底的に「全員達成」を求めるからです。

 ただ、こうして分析してみると、「全員に世界史の楽しさを分かってもらいたい」という私の願いは達成できていませんね。これが無謀な願いであることは分かっています。しかし私は、社会に出たときには、世界史をはじめとする社会科の科目の知識・教養が必要になってくると思っています。だからこそ、「全員に世界史を学んでほしい」のです。その中で「世界史の楽しさ」を分かってほしいのです。果てしない願いですが、諦めたくないです。